沿革 History

1864 2026 時代を越えて紡いできた、160年の歩み。

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1864

創業から
合名会社設立まで

  1. 創業

    初代瀧定助が祖父の二代瀧兵右衛門(了意)より「絹屋定助」の
    のれんを継承し、呉服太物卸商を営む

    Era & Events 1864

    蛤御門の変

  2. 瀧定助は資産を呉服卸業務、金融業務、不動産投資の三つに分割して運用

  3. この頃すでに京呉服、関東呉服、地場織物を取り扱っている

  4. 四代瀧兵右衛門らと
    名古屋銀行(現・三菱UFJ銀行の前身の一つ)を設立
    瀧定助が取締役に就任

    1882

    日本銀行開業

  5. 四代瀧兵右衛門らと尾張紡績株式会社(現・東洋紡の前身の一つ)を設立

  6. 京都支店の開設、以後、関西方面に販路を拡大

  7. 製造部門として絹定職工場を開設

    1889

    大日本帝国憲法発布

  8. 名古屋商業会議所第一回議員選挙にて、瀧定助が議員となる

  9. 絹定職工場を移転し名古屋製織合資会社を設立

  10. 帝国撚糸株式会社、合資会社三龍社(製糸)、日本車輌製造株式会社を
    中京財界人と共同設立、岐阜絹織物株式会社に出資

    1896

    第一回
    近代オリンピック開催

  11. 第一回重役会を開催、
    瀧定銀行部規則、瀧定商業部規則を制定し
    機構を整備

  12. 名古屋有力呉服問屋十店で
    呉服一番組結成

  13. 大阪市東区安土町に店舗用敷地を購入

  14. 初代瀧定助の長男・正太郎が二代定助を襲名
    瀧家家憲宣誓式

    1903

    ライト兄弟による
    初の動力飛行成功

初代瀧定助と瀧定商店のあゆみ

初代瀧定助と
瀧定商店のあゆみ

明治初期において、瀧定助は資産を呉服卸売業務、金融業務、不動産投資の3つに分割して運用。明治3年に祖父了意を喪い、自己の判断と責任において業務を推進してゆくことになりました。明治8~9年頃にはまだ絹屋定助という商号を用いており、すでに京呉服、関東呉服、地場織物をすべて取り扱っていました。明治10年代、20年代に壮年の定助は陣頭に立って鋭意商売に精励、当時の資料はほとんど残っていませんが、明治22年度の売上高が20万円余という記録があります。

(参考:明治27年の公務員の初任給は50円)

近代の夜明け|明治期のファッションと時代背景

Era & Fashion

近代の夜明け

徳川幕府は1867年(慶応3年)10月14日に幕を閉じ、翌年、明治天皇が即位。明治になると版籍奉還や廃藩置県に伴って中央集権制度へと移行、地域閉鎖性が取り除かれて営業の自由が実現しました。明治政府は「富国強兵」「殖産興業」をスローガンに、産業育成による近代化を目指して西欧の先進技術導入を進め、官営模範工場の設立や専門技術をもつ外国人の雇用などを行いました。

1906

瀧定合名会社時代

  1. 瀧定合名会社を設立、同時に大阪支店を開設
    大阪支店は綿フランネルを主力製品とし全国へ販売

  2. 大阪支店輸出部の創設、以後、台湾や朝鮮へ販路を拡張

  3. 二代瀧定助、日英博覧会を機に欧米12か国を巡歴

  4. 世界大戦勃発で輸入が途絶、染加工綿布の輸出商としての体制を確立

    Era & Events 1914

    第一次世界大戦勃発

  5. 大阪支店輸出部が独立、貿易部として安土町に独立店舗を設ける

  6. 上海支店・香港支店開設、絹・綿・毛織物を取り扱う
    大戦景気により前年比4倍の利益を
    計上

    1919

    ベルサイユ講和条約調印

  7. 大恐慌により各部門赤字を計上、資産評価替と増資で対応

    1920

    株価大暴落、
    戦後恐慌に突入

  8. 大阪貿易部と京都支店、染加工綿布が好調に
    二代瀧定助が名古屋商業会議所副会頭に就任
    香港支店を廃止

  9. 関東大震災の影響により、中京・関西への注文殺到

  10. 廣三郎(初代定助三男)の長男・瀧憲蔵が三代定助を襲名
    大阪支店内地部を京都支店に統合、大阪支店は貿易専門に
    世界恐慌からの立て直しのため、人員整理を断行

    1932

    五・一五事件

  11. 上海支店を廃止、大連に駐在員を配置
    この頃、遠洋市場(インド、モロッコ、イランなど)を開拓し
    綿布を売り込む

    1933

    日本綿布の
    輸出高世界一

  12. 本店新社屋建築着工、世界大恐慌以降の不況からの再建意気高まる

    1936

    二・二六事件
    ナイロン発明

  13. 本店新社屋完成

  14. 大連出張所、天津出張所を開設

    1938

    国家総動員法、禁綿法令公布
    (国内民需は全てスフに)

  15. 京城出張所を開設
    大阪支店を増築

    1939

    第二次世界大戦勃発

杉浦英一著『中京財界史』に記された瀧家の人々

杉浦英一著
『中京財界史』より

“瀧家の人たちはもともと勤倹力行の実業家が多かった。絶えず足元を見つめ、一々ソロバンをとり、代を重ねながら着実に発展して来た(...)社交界や芸能界には見向きもせず、ひたすら実業家としての正道を歩いて行った。そして明治39年瀧定合名会社をつくると、内部経営は一切弟の廣三郎に任せ、自分*は対外的に新しい事業経営を目指し船出して行った。”

*二代瀧定助

近代日本の転換期|大正期のファッションと時代背景

Era & Fashion

近代日本の転換期

日露戦争と第一次世界大戦の両大戦は、日本の工業力増強を促し、繊維産業においても生産拡大や技術革新を加速させました。特に、第一次世界大戦中は欧州諸国の生産停滞から日本品の需要が高まり、輸出貿易が激増。

1940

瀧定株式会社設立から
戦後復興まで

  1. 株式会社瀧定商店を設立
    台北出張所を開設
    バンコク出張所を開設
    上海出張所を開設
    釜山、奉天、済南、徐州、台南に出張所を設置

    Era & Events 1940

    日独伊三国軍事同盟調印

  2. 商号を瀧定株式会社に変更

  3. 相次ぐ空襲で大阪支店全焼、本店も大きく罹災
    終戦とともに海外営業所11ヶ所を全て喪失

    1945

    ポツダム宣言受諾

  4. 新役員陣で再出発
    当時横行した闇取引は断固拒否で正規の営業を守り通し、統制対象外の
    商品の取り扱いで難局を突破

    1946

    日本国憲法公布

  5. 繊維貿易公団に新規加入

    1947

    制限付き民間貿易開始
    衣料品配給規則と衣料切符
    規則が公布、登録商制度発足

  6. 登録商としての活動が軌道に乗り、繊維品の取り扱いが営業の主体に
    毛織物がこの頃より主力商品に

    1948

    国連で世界人権宣言採択
    米ソ冷戦激化、
    アメリカの対日政策転換

  7. 第一回名瀧会開催
    代表取締役副社長(大阪駐在)に瀧隆朗が就任

    1950

    綿関係以外の統制解除、
    自由経済復活
    朝鮮戦争勃発

自由経済復活後の瀧定の展望

自由経済復活後の展望

綿以外の統制が撤廃されるなか、経営陣は今後の営業についての基本方針を決定しました。名古屋本店は戦前の呉服を主体とする集積地卸から、毛織物を主体とする服地の元卸へと業態を大転換。一方、大阪支店は内地取引に進出、また、業界における地の利に鑑み、将来的には京都支店を統合して新たな大阪支店を発足させることに決定。従来からの輸出入業務を充実させる一方、京都支店が築いてきた染色加工品の製造元卸業を基底とし、全国的な元卸商として一大飛躍を目指すこととなりました。

戦時経済と戦後復興|昭和初期のファッションと時代背景

写真:毎日新聞社/アフロ

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戦時経済と戦後復興

1937年(昭和12年)7月に勃発した日中戦争に伴い、国内は急速に戦時経済に移行。時局の変化に対応するため、国民衣料の毛製品や綿製品への人造繊維の混用が強制され、一般消費向けの純綿製造が禁止されました。

1952

高度成長と経営革新

  1. 大阪支店に内地部門を開設

    Era & Events 1952

    サンフランシスコ平和条約発効

  2. 売上高50億円台に(両支店合計)

  3. 京都支店を大阪支店に統合し、大阪支店新社屋を備後町三丁目に竣工

  4. 輸入部、羊毛取り扱いに参入

    1955

    神武景気
    (1954年12月~1957年6月)

  5. 大阪支店次いで本店が経営革新を断行

    1958

    岩戸景気
    (1958年6月~1961年12月)

  6. 売上高100億円台に(全店合計)

    1960

    国民所得倍増計画閣議決定

  7. 製品部、自社で企画を開始

  8. 売上高200億円台に(全店合計)
    ニューヨークに駐在員事務所を開設、
    現地縫製工場に
    高級毛織物などを直販

    1963

    ケネディ米大統領暗殺

  9. 創業100周年を迎える
    課別独立採算制を推進

    1964

    東京オリンピック開催

  10. Takisada American Corporationをニューヨーク五番街に設立
    (1988年閉鎖)

  11. 大阪支店東京連絡所を中央区日本橋芳町に設置

  12. 取締役社長に瀧潤次郎が就任
    大阪支店製品部、自社縫製工場として瀧定服飾研究所を開所

    1968

    日本のGDPがアメリカに次ぎ
    世界第二位に

課別独立採算制の採用

大阪支店は、京都支店を統合したものの人材を欠き、士気・業績ともに悪化。そこで、当時副社長の瀧隆朗が経営大革新を断行。1960年前後より課別独立採算制を導入、みるみる赤字を解消し黒字体制となりました。課別独立採算制を基底とした瀧定は、生産元卸問屋としてコンバーター機能、生産基盤の強化、商品開発力の充実に努め、大躍進を実現。今日の企業基盤は、この時期に形成されたと言えます。

大阪支店の発展

大阪支店の発展

大阪支店では、内地部で京都支店の伝統を受け継ぐ加工(プリント)部門が活躍したほか、1960年頃から合繊素材の取り扱いを拡大。また既製品時代に対応して製品部門を発足し、以後は取扱品目を拡充。輸入部では1955年から紡毛原料の羊毛取引に新規参入。輸出部は、綿布や合繊、毛織、雑貨を扱い、1951年のアジア、中東、アフリカ諸国の市場視察に始まり、コロンボやシンガポール、テヘランに駐在員を派遣、1966年にはアメリカ現地法人を設立しました。

自由経済復活から黄金の60年代へ|当時のファッションと時代背景

提供:朝日新聞社

Era & Fashion

自由経済復活から
黄金の60年代へ

1950年代に入ると、日本は朝鮮戦争の特需により経済が急速に回復。これに伴って統制下にあった繊維製品のほとんどが、統制を解除され、10年ぶりに自由経済が復活しました。

1970

近代的
問屋経営の確立

  1. 売上高500億円台に(全店合計)
    代表取締役社長に瀧隆朗が就任
    株式会社トップレディー(高級プリント服地卸)を設立
    中東市場調査開始、ジェッダへ出張

    Era & Events 1970

    日本万国博覧会開催

  2. 大阪支店新社屋を備後町二丁目に竣工

    1971

    為替変動相場制に移行

  3. 渡辺矢株式会社の経営支援を開始
    資源不足とインフレムードによる仮需で売上利益が急増

    1972

    田中角栄内閣成立、
    日本列島改造論から
    インフレ高進

  4. 仮需による売約の急増と反落に対応

    1973

    第一次オイルショック

  5. 石油危機に冷静に対処、大阪支店は損失を最小限に抑える
    大阪支店、製品部物流規模拡大により昭和町商品センターを開設

  6. 売上高1,000億円台に(全店合計)
    問屋機能の核心として市場危険(リスク)負担を明言

    ※リスクの対象は時代によって異なり、当時は相場や売れ筋であった

    1975

    ベトナム戦争終結

  7. 婦人服地部に子供服地課、製品部に子供製品課を新設
    輸出部、中近東向け専任課を発足
    杉村株式会社の経営支援を開始

    1978

    日中平和友好条約調印

  8. 問屋機能としてものづくりの強化を
    推進
    東京連絡所新ビル、日本橋浜町に完工

    1979

    第二次オイルショック

難局を切り抜けた識見

第一次オイルショックで、多くの問屋や機屋は先物買約に狂奔するも経済情勢が一変。過剰在庫・原材料高騰・大型賃上げによる利益の圧迫などで不況感は深刻化しました。一方、大阪支店は、上げ相場に乗りつつも反動必至を忘れず、異常事態を最大限の利益と最小減の損失で乗り切りました。激動の70年代を支えたのは、当社独自の経営理論である「問屋機能論」と「弁証法的方法論」の展開です。市場リスクへの挑戦こそが根元的な問屋機能であり、真正面から取り組むこと。仮説から実践が生まれ、実践によって正しさを確認あるいは修正し、再び実践へ。問屋の本質を貫いた経営が、激動を乗り越え、盤石の地位を築き上げました。

大阪支店の躍進

大阪支店の躍進

1970年代、大阪支店では加工(プリント)部の拡充、服地部の躍進、製品部の発展、羊毛事業の業容拡大、そして輸出部での他社に先んじた中東市場開拓が見られました。なかでも婦人服地部は産地産元との取り組みによる独自の素材開発力と商品リスクへの挑戦でアパレルからの絶対の信頼を受け、業績は内地部の利益の大半を占めるようになり、大阪支店服地部黄金時代が到来しました。

アパレル、チェーンストア主導時代の到来|1970年代のファッションと時代背景

提供:Kodansha/アフロ

Era & Fashion

アパレル、チェーンストア
主導時代の到来

1960年代から高度成長を遂げてきた日本でしたが、1971年にドル・ショックによる国際通貨不安、1973年に第一次オイルショックが発生。狂乱物価の抑制策が大不況を招き、高度成長期は終焉を迎えます。

1980

繊維総合商社への
発展

  1. 代表取締役社長に瀧季夫が就任
    売上高1,500億円台に(全店合計)
    北高株式会社発足

    Era & Events 1980

    イラン・イラク戦争勃発

  2. 創業120周年を迎える

    1984

    電電公社民営化

  3. 売上高2,000億円台に(全店合計)
    大阪支店プリント部にニット服地課を新設

    1985

    日航機墜落事故

  4. バブル景気拡大、瀧定史上最高の売上高2,291億円に(全店合計)

    1989

    消費税3%課税開始
    ベルリンの壁崩壊、
    東西冷戦の終結

  5. 株式会社瀧定関西商品センター
    (現・株式会社スタイレムロジスティクス)を設立

    1991

    平成不況
    (バブル崩壊、景気後退期に入る)

  6. 名古屋店および大阪店に呼称を変更
    株式会社トップレディーを合併

  7. 代表取締役社長に瀧鈞一郎、副社長に瀧昭廣が就任

    1994

    関西国際空港開港

  8. 株式会社アティーヴォ(輸入婦人服卸)を設立

    1995

    阪神淡路大震災発生
    地下鉄サリン事件

  9. 株式会社リヴァイヴ(婦人服卸)を
    設立

市場の変化をチャンスに変えた瀧定

市場の変化をチャンスに

消費者の志向の変化とともに、市場は多品種・小ロット・短サイクル化。これはリスクに果敢に挑戦する瀧定にとって好機となりました。業界のリスク回避の要望に対応し、適時適品の安定供給を実現しました。取引先は、専門店系卸アパレルや百貨店系アパレル、キャラクターズブランドアパレルへと大きく拡大。他社との差別化や商品グレードの向上といったブランド各社のニーズに応え、イタリアなど欧州の生地を仕入れるだけでなく、独自の企画・生産を展開し、繊維総合商社としての提案力を高めていきました。

激動の80年代|当時のファッションと時代背景

写真:毎日新聞社/アフロ

Era & Fashion

激動の80年代

第二次オイルショックによって1980年から再び景気が後退し、3年間に及ぶ戦後最長の景気低迷となりました。その後、日本経済は回復基調に転じたものの、消費意欲は減退。

2001

経営改革と
グローバル基盤の構築

  1. 瀧定株式会社を瀧定大阪株式会社と瀧定名古屋株式会社に分割
    瀧定大阪株式会社 代表取締役社長に瀧昭廣が就任
    瀧定名古屋株式会社 代表取締役会長兼社長に瀧季夫が就任

    Era & Events 2001

    アメリカ同時多発テロ

  2. 代表取締役社長に瀧隆太が就任

  3. 瀧定大阪商貿(上海)有限公司を設立
    中期経営変革プログラム“Chance to Change”を策定

  4. 全社成長戦略プロジェクトを実施
    プルミエール・ヴィジョン(ニュー
    ヨーク、パリ)に初出展

    2010

    中国のGDPが
    日本を抜いて世界第二位に

  5. 課別独立採算制から事業部制へ移行
    時代夢国際(香港)有限公司を設立、
    同社にホーチミン駐在員事務所を開設

    2011

    東日本大震災発生

  6. 時代夢商貿(深圳)有限公司を設立
    STYLEM INTERNATIONAL (INDIA) PRIVATE LIMITEDを設立
    ERPシステム(SAP)を導入
    アクセサリーブランド「LION HEART」をグループ傘下に

  7. 本社を大阪市浪速区湊町に移転
    本社にコーポレートブランド「STYLEM」導入
    STYLEM ITALIA S.R.L. 設立

    2013

    日銀が異次元の量的・
    質的金融緩和を決定

  8. 創業150周年を迎える
    バンコク駐在員事務所を開設
    iPalette (HK) Limitedを設立

  9. 瀧定大阪株式会社をグループ本社とする新グループ経営体制に移行、
    事業をスタイレム株式会社に継承

  10. STYLEM KOREA CO., LTD. を設立
    「ARCHIVE & GALLERY」(大阪)と「スワッチギャラリー」
    (東京)を開設

コーポレートブランド「STYLEM」の導入

コーポレート
ブランドの導入

コーポレートブランド「STYLEM」は、“STYLE”と「ものごとの源泉であり、すべての起源」を意味する“YLEM”を組み合わせ、「すべての人々の生活の感動や幸せの根源となるもの」という意味を込めた造語です。マーケット、特に海外における当社の認知度を高め、成長拡大することを目指してコーポレートブランドを導入。国内外において同一ロゴを採用し、名刺や封筒、販促物などの制作物のデザインを統一し、コーポレートブランディングを推し進めました。

中期経営変革プログラムの成果

中期経営変革
プログラムの成果

2010年度より3か年で実行した中期経営変革プログラムでは、ITインフラ投資、グローバル化、M&Aによる新規事業開発などを推進しました。事業部制を導入し各部門の連携や業務改善が進捗しました。また、中国やASEANなど世界各地に事業拠点が設置されました。一方で、小売ブランドビジネス戦略で複数の買収を実行したものの蹉跌、2016年に方針を見直すこととなりました。

ファストファッションの台頭と大量生産時代|2000年代のファッションと時代背景

写真:Fujifotos/アフロ

Era & Fashion

ファストファッションの
台頭と大量生産時代

バブル崩壊後から続く“平成不況”のなかで幕を開けた新世紀。繊維業界では産業構造が大きく変化し、国内のアパレル製品市場は一貫して縮小。

2021

新たな
価値創造への変革

  1. 瀧定大阪株式会社とスタイレム株式会社を統合し、
    商号をスタイレム瀧定大阪株式会社に変更
    企業理念を言語化(Mission, Vision, Value, 8Spirits, Slogan)
    サステナビリティ方針と5つの重要課題を設定
    北京と厦門に分公司を開設
    STYLEM USA INC.を設立
    PT STYLEM INTERNATIONAL INDONESIA を設立

    Era & Events 2021

    東京オリンピック・
    パラリンピック開催

  2. イタリアのテキスタイルメーカーGiolica s.r.l. と資本業務提携
    パーパスを言語化

    2022

    ロシアによるウクライナ侵攻

  3. 生地の会員制Webサイト「STYLEM FABRIC STORE」をオープン
    ジャカルタにショールームを開設
    成都に分公司を開設
    パリに支店を開設

    2023

    コロナ禍の収束

  4. 創業160周年を迎える
    160周年ホームカミングデーを開催
    合弁会社「株式会社WS」を設立
    健康経営優良法人(大規模法人部門)に認定
    ミラノにショールームを開設
    杭州に分公司を開設

    2024

    働き方改革による
    物流業界2024年問題
    日銀がマイナス金利政策解除、
    17年ぶりの利上げ

  5. 大阪と東京の二本社制に移行
    合弁会社「Canale Japan株式会社」を設立
    瀧定大阪商貿(上海)有限公司の商号を
    時代夢商貿(上海)有限公司に変更

  6. ホーチミン駐在員事務所を廃止し、
    STYLEM VIETNAM CO., LTD. を設立
    株式会社瀧定関西商品センターの商号を
    株式会社スタイレムロジスティクスに変更

コロナ禍での挑戦とデジタル・サステナビリティへの取り組み 廃棄繊維を活用したフェルトボードなどサステナビリティへの取り組み

コロナ禍での挑戦

新型コロナウイルスが世界的に流行した2020年からの3年間は、当社にとっても大きな挑戦と変化の時となりました。既存事業の売り上げが急激に減少する一方で、生活者に新しい価値観が生まれる様子を目にし、未来を見据えたいくつもの施策に着手。新たな商材や商流を模索するとともに、デジタルトランスフォーメーションを加速させました。オンラインで生地を探索・購買できる「STYLEM FABRIC STORE」は、2022年に立ち上げて以来、北米など海外への展開を進めています。また、インドにおける綿農家のオーガニック栽培への移行支援や、業界課題である廃棄繊維からのリサイクルとアップサイクルなど、サステナビリティへの取り組みも進展しました。従来廃棄される衣類などのポリエステル繊維を活用したフェルトボードは、建築家の隈研吾氏の展示に採用されました。

ファッション産業のパラダイムシフト|コロナ禍以降のファッションと時代背景

Era & Fashion

ファッション産業の
パラダイムシフト

2020年初頭より始まった新型コロナウイルス感染拡大は、ファッション業界に大きな変化をもたらしました。消費者の価値観や行動様式が大きくシフトし、業界全体に新たな潮流が誕生。

2026

スタイレム株式会社
時代

  1. 商号をスタイレム株式会社(英文名:STYLEM Ltd.)に変更
    一方、瀧定名古屋株式会社は社名を瀧定株式会社に変更

二つの「瀧定」からの社名変更

二つの「瀧定」からの
社名変更

2001年の会社分割以降、瀧定大阪と瀧定名古屋はそれぞれ独立した経営のもと発展を続けてきました。一方で、両社が「瀧定」を冠することで海外取引を中心に混乱が生じる場面もありました。そこで当社は2013年にコーポレートブランド「STYLEM」を導入、国内外で着実に認知を拡大していきました。しかし、業界の枠を超えて企業認知を広げるうえで、二つの「瀧定」が併存する課題も顕在化していきました。こうした状況を踏まえ、両社で協議を重ねた結果、当社は「スタイレム株式会社」へ、瀧定名古屋は「瀧定株式会社」へ社名変更することとなりました。なお、これによって当社の社名から「瀧定」の名は外れることとなりましたが、160年以上にわたり受け継がれてきた伝統と価値観は、これからもスタイレムの根幹として受け継がれていきます。